11『初遭遇』



 誰だって熊に遭うのは嫌だ。それを狙う狩人でもない限り。
 熊に遭った事のない人間ならなおさらだ。

 始めて遭った時、どうしていいのか分からない。
 倒せばいいのか、逃げればいいのか。
 自分にあれが倒せるのか、どう倒せばいいのか。

 強くなり、その時どうすればいいのかを知る権利を与えられるのは、その初めてを生き延びた者だけだ。



「う〜んっ……!」

 式典が終わり、決闘場を出ようとする人々の流れから脱出したリクは座りっぱなしでこわばってしまった身体を思いきり伸ばした。
 限界まで吸い込んだ息を一気に吐き出すと、リクはあたりを見渡した。
 途中でいなくなってしまったコーダを探す為だ。
 こうも世話になっておいて、ろくに礼も言わずに別れるのはあまり好ましい事ではない。幸い彼はあのサソリで来ているはずだから、この人込みの中でも十分目立つはずだ。
 しかし、運搬サソリの姿はどこにも見えない。

(さすがにこの人ごみン中じゃ、アレは乗れねーか……)

 そこでリクは、この人ごみがいなくなるまで決闘場の傍で待っている事にした。
 その人ごみの中からは様々な話が聞こえて来た。
 三人の優勝候補の中で誰が勝つか、デュラス=アーサーとシノン=タークスの闘いが楽しみだ、クリン=クランの闘いは誰も見た事がない等、主に優勝候補達が絡む話題がほとんどだった。
 だが中にはマニアックな人間もいて、カルクの弟子であるカーエスの名前を挙げたり、三大勢力以外の有力な参加者の話をしたり、驚いた事にファルガールを街で見かけた、という者までいた。
 ほとんど何も知らない彼にとっては思わぬ情報収集となった。

 幸い有意義なものとなって時は過ぎ、周りの人数は人ごみと呼べるものでは無くなっていき、サソリが十分通れるくらいになっても、コーダは結局現れなかった。

(そもそもアイツ何しにきたんだ?)

 魔導研究所勢が出て来てから現れて、式典が始まってから終わる瞬間までの間にいなくなった。つまり、式典は途中で抜けた事になる。
 しかも、式典のメインであるカンファータ王のスピーチは一番最後だ。後は全部入場演出だった。と言う事はコーダは式典を見に来るのが目的ではなかったと言う事になる。
 来ている間にした事と言えば、リクに弁当を与え、そして各勢力について説明した事くらいである。

(まさか何か目的があって俺に近付いてるわけじゃねーだろーしなー)

 何であれ、今ここに、その疑問を氷解させるものは何もない。
 リクはため息をついた。
 ファルガールの事といい、マーシアの事といい、そしてコーダの事といい、どうも最近気になる事はたくさんあり、なかなかその答えが得られない。
 これはなかなかストレスがたまる。

 ふと見ると、三人連れの男達が決闘場から出て来ていた。
 一人は初老の男、もう一人はファルガールと同じくらいの年齢だろうか、そして最後の一人はリクと同じくらいだろう。
 三人とも一様の服を着ていた。少しでも太陽の光を跳ね返そうと、周りが明るいいろの服ばかりのなかでそれは黒く、胸に何か紋章のような者を刺繍してある。
 服装だけではなく、その三人はどこか雰囲気が違っていた。
 大会の参加者達の緊張した感じでも、それを見に来た者達のたのしそうなそれでもない。
 どちらかと言うと、エントリーの受付係のような仕事でそこにいるといった感じだろうか。しかし実際大会の運営に当たっているカンファータの人間ではないようだ。

 と、若い方の男に戦士の一人がぶつかった。
 その戦士は血気盛んな様子で、男に何か捲し立てていたが、不意にグラリとバランスを崩し、その場に倒れてしまった。

「え……?」

 その情景の不自然さにリクは思わず声を漏らし、目を見開いた。

(まさか……今ので殺したのか……?)

 二人の男はその場で少し立ち止まり、ぼそぼそ話し合うと、また歩き始めた。
 その背後で男の死体が燃え上がる。

(……魔法? ……あいつらは……魔導士?)

 なおも彼等から目をはなせないでいると、不意に若い方がこちらを向き、リクと目が合った。
 リクはぎくりとした。これは不味い。一部始終見ていたのがばれてしまったかもしれない。
 逃げようと思った。
 しかしもし気付かれてなければ、不自然な行動をとって改めて知らせてやる必要はない。
 何があったか問いつめて、倒してしまおうとも考えた。
 これも却下された。敵の攻撃手段が分からない、これは非常に危険だ。

(それよりも……それよりも、どうして俺は……)


 あいつの眼から目が離せないんだ……!?


 向こうが無気味な笑いを浮かべるのが見えた。
 リクの背筋に悪寒が走る。


 ……教エテヤロウカ?


「え……?」


 ……知リタイノダロウ?


(……頭の中に声が入り込んでくる!? いや……? そうじゃなくて……)

 彼は、目で話し掛けてきているのだ。


 ……ドウヤッテアイツヲ殺シタノカ……


(ヤバい、絶対にヤバい)

 リクの頭の中では何度も危険信号が駆け巡っていた。
 早く彼から目を放さなければ。
 早く目を瞑らなければ。
 早く手で目を塞がなければ。


 ……デハ、教エテヤル……


 は……やく何とか…しな…けれ……ば



 ざっ、ざっ、ざっ……
 不思議な事に耳のそばで靴が砂を踏む音が聞こえた。
 リクは自分が地面で倒れ伏している事に気付くのにさほど時間がかからなかった。
 少し手の指を動かしてみる。痛みはほとんどない。
 足も少し。

(……大丈夫だ)

 不意に気を失って倒れただけらしい。
 しかし彼は立ち上がろうとしなかった。頭上から声が聞こえてきたからだ。

「驚いたな……この男、まだ生きてやがる」
「無意識で魔力の障壁を張ったんだろう。ある程度強い魔導士なら誰でもできる。どうだ、イナス…“滅びの魔力”は持っていそうか?」

(イナス…“滅びの魔力”……?)

 じゃりっと靴音がして、衣擦れの音が聞こえる。
 そして不意にリクの右手が持ち上げられた。どうやらさっきの物音はしゃがんだ時のものらしい。
 右手は握手するように握られると、すぐにポイッと放り出された。

「いや、この男じゃないな。ジルヴァルト、どうする?」

(ジルヴァルト……ジルヴァルト……)

 声から年齢を判断すれば、はじめに話し掛けたのが中年の男、次がジルヴァルト、リクの同年代の男で、残る一人がイナス、初老の男だろう。

「殺すのか?」
「放っておく。一度どうしようもない敗北を味わえば、強くなるかもしれない」

(何を言ってるんだ、こいつ……?)と、リクはジルヴァルトの言動が理解できず、密かに眉を潜めたが、命が助かったと言う安堵の中ではそれも一瞬の事だった。

「……まあいい、それより今日中にハークーンの用事を終わらせよう。行くぞ」

 ハークーンとは中年男の名前だろう。
 ざっ、ざっ、ざっ……
 どんどん遠ざかって行く足音がとうとう聞こえなくなった時、リクはゆっくりと頭を上げ、ゆっくりと体を起こし、立ち上がった。

「イナス……“滅びの魔力”……ハークーン……、そしてジルヴァルト……」

 リクは彼等が去った方向を見つめ、両脇の握りこぶしをぎゅっと握りしめた。

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